「STAND BY ME ドラえもん」評

 宣伝文句や山崎貴・八木竜一両監督のインタビューなどで散見されるように、本作は「大人向けのドラえもん」として製作されたようですが、果たして、元ネタとなった原作(漫画)、アニメシリーズ、劇場版アニメは「大人向け」ではなかったのでしょうか。

 本作に組み込まれているエピソードの一つに「帰ってきたドラえもん(さようならドラえもん)」がありますが、この作品の劇場版アニメでは27分という限られた時間に関わらず、原作にはない「桜」「飛んでいく青い風船」「ハンバーグ」などの渋い演出(詳しくは書きませんが)、のび太のおばあちゃんとのエピソードを盛り込むことで、映画という媒体に適合する物語の大きなうねり、カタルシスをさり気無く構築し、また、のび太の感情の流れとして無理のない作りになっています。(押入れ→ダルマ→回想までの流れも無理がない)

 画面構成から細やかな演出に至るまで見事にブラッシュアップされた劇場版アニメ「帰ってきたドラえもん」はオーバー・ザ・原作を果たしたと言っても良い出来だったように思います。そんな偉大なる過去作(原作含め)は元々大人の鑑賞に耐え得る作品だったはずです。この時点で本作「standbymeドラえもん」のコンセプトは破綻の様相を呈しているのですが、「生み落とされてしまったものはしょうがない」という心境で、「ムシスカン」の不愉快放射能の中を進むしずかちゃん張りのガッツで観に行ったわけです。結果は……、最悪でした。

 まず、3DCGによるキャラクター造形&モーションですが、従来の漫画、アニメが持っていた多層的な感情表現が失われているように思います。過去作のび太の簡素な造形と少ない表情のバリエーションは楽観と悲哀のどちらともとれるような雰囲気を作るのに一役買っていましたが、山崎貴監督大先生は3DCGを操れるのがそんなに楽しいのか、あまりにも安易にキャラクターの表情や体をごちゃごちゃと動かすのです。どこが大人向けだ!(大人向けと見せかけて、実は海外向けを意識してたのか?と勘ぐりたくなる。だとしても安易過ぎる!なめんな!)

 次にストーリー。致命的な破綻が多く、どこから手をつけて良いのかわからないので目立った部分を箇条書きにします。

・設定が70年代半ばであるにもかかわらず14年後の未来が未来過ぎる!(パラレルワールドか!)

・原作の「しずちゃん、さようなら」に当たるエピソードで、のび太がしずかちゃんに嫌われようとする理由が不明。あの時点ではジャイ子と結婚することになっているので、のび太が普通に生きていればしずかちゃんに全く害はないはず。

・現代ののび太がほとんど何も成し遂げておらず、最後のカタルシスに繋がらない。

山崎貴監督大先生が「ドラえもんの葛藤がしっかりと描けるし、のび太との出会いと別れを効果的に表現できる。 最初はドラえもんのび太と一緒に暮らすことを嫌がり、友情を育んだ後半はのび太と別れたくないのに未来へ帰らねばならなくなる。便利な装置でしょう」と言い切った「成し遂げプログラム」が酷すぎる。

 本作はドラえもんのび太の出会いと別れ、しずかちゃんとのび太の恋愛ドラマを軸に作られていますが、のび太としずかちゃん、のび太ドラえもんが関係を構築していく過程が雑に描かれている為、「結婚前夜」に相当するパート、ラストのドラえもんのび太の別れに共感することができない作りになっています。おそらく製作の都合上95分間という短い上映時間になったのでしょうが、もっとやりようがあったと思うのです。例えば、原作の「しずちゃん、さようなら」「雪山のロマンス」に当たるパートでドラえもんがほとんど不在になっているのは大きなミスだと思います。

 のび太としずかちゃんが仲良くなる過程にドラえもんが常に介在していれば、のび太ドラえもんの関係の構築過程を見せる効果もあったはずです。ドラえもんのび太の関係を築くストーリーとしずかちゃんとのび太の恋愛ドラマを同時に描くような器用さが本作では皆無です。

 この映画の最大の問題点を強引にまとめると、監督・脚本が「のび太を信じきれていない」点なのではないでしょうか。

 原作やアニメシリーズはのび太が成長してしまうと終わってしまうので、のび太は基本的に成長しませんが、それでも最終回や劇場版ではのび太の成長を描きました。しかし、本作ではのび太が成長している風に見せていますが、実のところ、ラストの「帰ってきたドラえもん」のパートでしか成長が描かれていません。しかも、ラストまでのそれぞれのエピソードで、ほとんどのび太が何もしていないのでラストの成長が成長に見えないのです。例えば、「しずちゃん、さようなら」のパートでしずかちゃんに嫌われようとする理由が不明なのでのび太が人騒がせのバカにしか映っていないですし、雪山の遭難においてものび太はただ祈っただけです。のび太の成長(頑張り)がほとんど描かれていないのです。ゆえに最後の成長も一時的なもの(成長した風)にしか見えないのです。つまり、感動できないのです。

 のび太はダメ人間です。しかし、のび太はしずかちゃんのお父さんのセリフにもあったように、とても魅力的な人物です。本作の構成で「ドラえもん」を語るのであれば、「のび太の魅力に気づいていく」ことに重点を置くべきだったのではないでしょうか。のび太の魅力にドラえもんが気づき、応援する。しずかちゃんが気づき、恋をする。(そもそもしずかちゃんはのび太の魅力に気づいていたが、気づいていたことを観客が気づかせる)そして、のび太自身が気づき、前を向く。最終的に観客がのび太の魅力に気づく。これが本作では全く描けていません。のび太が中心ではなく、エピソードが中心だからです。

 バカと天才、ぐうたらと優しさが同居するのび太の存在があってこその「ドラえもん」です。数々の感動的なエピソードが「ドラえもん」ではないのです。

 僕は山崎貴に物語を作る素養がないと思っています。

 「成し遂げプログラム」というくそったれの設定を盛り込んだ発想からも分かるように、「仲が悪い→仲良くなる→別れなきゃいけない→悲しい」といった薄っぺらく、大雑把なストーリーテリングしかできないので、大人向けと謳いながら子どもの鑑賞にさえ堪えられないような残念な出来になってしまったのでしょう。95分間あれば、原作、アニメ、劇場版の時間や紙面の都合上曖昧にされていた「ドラえもんが未来に帰らなければいけない理由」「今後も現代に来れない理由」をしっかり描くこともできたのではないかと思います。

 とどのつまり山崎貴には原作や過去作を理解し、ブラッシュアップする愛も作家性もないのです。

 数少ない褒められる点は、3DCGのドラえもんが意外に可愛いこと(原作とアニメの方が断然可愛いけど!)、ひみつ道具のデザインに多少の説得力を持たせていることぐらいでしょうか。

 「俺わかってるでしょ」的な鼻につく細かいファンサービス、青年のび太とタイムフロシキで青年になった少年のび太の声が異なる点、ダサく効果の無い演出(しずかちゃんに殴られたのび太のスローモーション、やけにリアルな水滴落下など)、エンドロールの陳腐かつ二番煎じのアレ、やっぱりダサいタイトルなどなど、言いたいことは沢山ありますが、もう本作にこれ以上の労力を使いたくありません。